【アラフォー】苦悩の日乗

「エクスプレッシブ・ライティング」気持ちを整理するため、文章を書いてメンタルを強化

20200504_コロナ対策に思う、日本人の「足し算」【断酒1】

朝、外を見ると、ベランダが濡れていた。雨だ。

最高22℃、最低17℃と、この時期らしい気温であった。

昼食を食べに出かけたときは、下着×ロンT×ナイロンパーカー。

ナイロンパーカーが暑くて、結局脱いだ。

 

夕方、スーパーへ買い物行ったときは、下着×ロンT。

ロンTが厚手だからか、ちょっと暑かった。

20℃超えるなら、ロンTだけでもいけそうだ。

近所の買い物には、もってこいである。

ロンTの使い方は、今後も要検討である。

 

気にある記事があった。

なぜ日本人は、「ムダなこと」をやりたがるのだろう。

toyokeizai.net

 

以下、上記リンクからの引用である。

意味のないことは、議論しないのが大事です。手すりを何分おきに消毒すれば正しいのかとか、エレベーターのボタンを何分おきに消毒するのが正しいのかという命題には、答えはありません。

答えがないのなら、むしろどこにでもウイルスがいる前提で、手指消毒をして、鼻や口には触らないようにすることでリスクをヘッジしたほうが、より堅牢なやり方なんです。

(中略)

こう言ったら失礼かもしれませんが、その納得できない心情こそが、我々の社会のいろんな問題の原因かもしれないと、ぼくは思います。

 

この「みんな疲れるからやめよう」っていう発想を「引き算の発想」というんですが、日本にはこれがないんです。必ず足し算でいこうとする。引くことを知らないんです。

 

なぜ、日本人は「引き算の発想」が苦手なんだろうか?

それは、農耕民族の血が流れているからではないだろうか。

手入れすれば、した分だけ豊かな実りが得られるのが農耕。

つまり、「努力は必ず実る」「苦労の分だけ結果が出る」発想。

 

「あれをやめよう」と引き算すると、「サボってる」と、イメージがよくない。

休むことへの罪悪感もその典型である。

教育現場でも、「努力は必ず実を結ぶ」と教える。常に「足し算」。

「この力が足りないからこの授業をやろう」と、とにかく詰め込む。

 

日本の庭や茶室、絵画を見ると、余白の美しさがある。

すっきりして、使いやすい。美しい。

まさに「引き算の発想」であったはずだ。

「配られたカードで勝負するしかないのさ」とスヌーピーは言った。

スティーブ・ジョブズの生み出したアップル製品も、「引き算の発想」だ。

 

コロナの影響で、まさに今の生活が、「引き算の発想」になっている。

不要不急な外出やイベントはしない。まさに「引き算の発想」である。

資本主義に基づく経済活動が「足し算の発想」であり、経済の発展を求め続けることも「足し算の発想」である。

我々は、いまこの「足し算の発想」を見直す時期なのだ。

 

人口は減ることが危惧されているが、減るのは自然な流れなのだと思う。

自由を求め、合理的な発想をすれば、子どもは減り、人口は減るのが自然だ。

減っていき、どこかでまた、「増やそう」という流れになるかもしれない。

減らない対策を立てるより、減っても機能する社会の仕組みを考えるべきではないか。

 

人口を増やそうというのは、「足し算の発想」

減ってもやっていける社会を再構築するのが、「引き算の発想」

この時間が有り余る今だからこそ、発想は足し算である。

f:id:hokabeng:20200504201548j:plain