”鍛える”というと、強くするとか、辛いことに耐える我慢のイメージがある。
でも、心を”磨く”というと、美しくする、継続していくイメージだ。
この違いは大きいと思う。
日本人は、農耕民族の名残りか、努力や忍耐が重んじられる。
我慢の先に、収穫という報酬が待っていたからだ。
しかし、現実社会は農耕ではない。我慢しても収穫がないことの方が多い。
確かに、宝くじと同じで、買わないと当たらない。
努力なくして、結果は出ないかもしれない。
だから、まったく努力する必要がないとは思わない。
でも、世の中には、努力だけではどうしようもできないことも多い。
自己責任5割、その他の理由5割くらいに考えておくのがよいとは、phaさん。
ニーバーの祈りも、とても参考になる。
「神よ、変えることの出来ない事柄については、
それをそのまま受け入れる平静さを、
変えることの出来る事柄については、それを変える勇気を、
そして、この二つの違いを見定める叡智を、私にお与えください。」
まさにその心を身に付けるのが、心を磨くことだと思う。
「人生で起こること、すべて良きこと」と全肯定していく。
自分らしく生きる、周りを気にしない、そう自分の人生だから。