【アラフォー】苦悩の日乗

「エクスプレッシブ・ライティング」気持ちを整理するため、文章を書いてメンタルを強化

20200609_「コロナに負けるな」は、勝負に持ち込みたがる日本の教育の弊害

晴 真夏日 最高31℃[+3]最低21℃[+1]

昼間の暑さを想定して、「ベスト×半袖シャツ」
それでも日中外は暑かった。
ただ、冷房が効いていると寒いのが難点。
帰りに寄ったカフェと焼き鳥屋は、冷房がガンガンで寒かった。
私服だと、半袖にジャケットが着れるのだが、スーツのジャケットは、下に半袖シャツを着るのはNGなのだ。確かに気持ちが悪いし。
明日も暑そうなので、ジレパンスタイルに半袖シャツの予定だが、冷房対策は今後も検討の余地がある。
長袖シャツにジャケットを羽織り、暑かったらジャケットを脱ぐという方法も検討したい。

 

コロナ、コロナでマスクである。この気温でもマスクをつけるのかと思うと、熱中症になれと言われている気がしてならない。
熱中症になるか、コロナになるか、そのどちらかしか選択肢はないのだろうか?

 「気温28度以上の環境で過ごしていると脳が冷えづらくなり、気温22・5度から23度が最もパフォーマンスが上がるといわれています。マスクをしている時はエアコンの設定温度を24度くらいにして空気を冷やすことが大切です。就寝時も同様で、温度が高い環境の中、薄手のパジャマとタオルケット1枚で寝るのはやめて、エアコンで室温を25度くらいに制御して体は厚手のパジャマと布団で温めましょう」(梶本氏)

(引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/5a937356455f4b05ead2f4d7029e8d55538c9b2e

ということで、人との距離が取れるときは、マスクを取るようにしたい。

「距離が取れれば、マスクを取ろう」

 

疑問に感じるのが、「コロナに負けるな」という表現。
では、コロナに感染した人は「負け」なのか。感染しない人は「勝ち」なのか。
これは、「負け犬」みたいな言葉と同じで、何でも勝負にしたがる日本の教育の悪いところが出ていると思う。
勝利至上主義、負けたら価値はないのか?勝ったら必ず価値があるのか?
勝負は、必ず勝者と敗者が存在する。常に緊張感を強いられ、結果がすべてのような雰囲気になる。 

 

「コロナ」はスポーツじゃない。勝敗を決めるものではない。
「コロナと戦おう」とか「負けるな」という発想が、「足し算の発想」につながる。
勝負だと思うのではなく、共存、またはどうこの難局を乗り切るか、が大切なはずだ。
必要なのは、「負けるな」といった感情論ではなく、科学的根拠のある対策であったり、冷静な判断だったりするはず。
それができれば、トイレットペーパーがなくなることはないはずだ。

 

日本を悪くする3本の矢。「政治家」「マスコミ」「教育」
ここは、勝負事が大好きだもんな。
甲子園、なくなった。高校球児はかわいそうかもしれない。
でも、それに依存するような高校生活を送る子どもが生まれる社会構造や、部活動の肥大化も問題なのではないか?

 

コロナは、3本の矢がいかに危うい構造だったかを如実にしてくれた。
社会は変わろうとしている。企業も変わっていくだろう。
しかし、この3つは変わる気配はない。
政治家は給料を少し減らして偉そうにし、マスコミは再び視聴率の稼げる低俗な番組を作り、教育は足し算の発想でコロナ対策の負担だけが増え、教員の残業時間を増やすだけだ。
定額働かせ放題な教員」には、コロナ対策をしながら、新しい学習指導要領の対応をし、ICTを使ったオンライン学習を整備をする。

 

 

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