晴 冬日 最高12℃[+5]最低-1℃[+1]
「ステンカラーコート×ジャケット×カシミヤニット×ブルーシャツ×あったかインナー、EZYアンクルパンツ×あったかタイツ」
冬期休暇もあっという間に終わり、今日から仕事へ。世の中では、緊急事態宣言が話題になっているが、仕事へ行く人は多数である。
私の仕事は不要不急には感じないので、休みにした方が社会のためになると思うは、自分が楽できるからだろう。
また始まった、コロナを利用したマスコミの視聴率稼ぎ
コロナウイルス感染者の増加を煽る。
⇒緊急事態宣言を要求する機運を高める。
⇒宣言が出たら、生活に困窮している人を取材し、大変だと言う。
⇒補助金を出したら、もっと医療環境に回すべきだと言う。
⇒医療環境に回したら、もっと生活に困窮している人へ。。。
これを繰り返して、視聴率を稼ぎ、夜の街で会食するマスコミ上層部w
さらに、こんな状況でもグルメ番組とかスポーツ番組、バラエティやって、これまた視聴率稼ぎw
マウスシールドしても、飛沫飛んでますから。。。
この状況でも、感情論で発言する政治家
なんの科学的根拠もなく、コロナに勝ってオリンピックを成功させようと叫ぶオリンピックで大儲けできる老人は、戦時中の上層部と同じだ。感情論で「我慢の先に未来がある」というストーリーを描きたがる。楽をして何とかしようという発想はないし、やめるという決断もできない。
いまは言論弾圧がそこまでないこと、ネットがあるおかげで、冷静な意見や様々な意見が出せるため、「ああ、どっかの老人がまた戯言言ってるわw」と冷静に呆れられるけど、ネットもなかった時代、偉い人がそう言えば、皆そう思ったのだろう。
必要なのは、科学的根拠と想像力
民主主義において政治家は、「公人」でなくてはならない。様々な人の代表者でなくてはならないのだ。老若男女、どんな立場の人の気持ちや状況をできるだけ想像し、情報を集めて、判断する必要がある。
しかし、いまの政府や政治家は、自分の有権者の顔色しか見ていない。つまり老人やマスコミの顔色だけを見て判断しているように思う。これでは「私人」である。
夜の街で稼がないと食べていけない人がいる。バイトがないと学費が払えない学生もいる。リスクヘッジが足りなかったと言えばその通りかもしれない。でも、そこに手を差し伸べるのが福祉であり、政治ではないのか?
一度でも失敗したら、そこで試合終了なら、人間とは何のために社会を作り、助け合える仕組みを作ったのか?
「あんたが悪い」「自分は成功している」と他人の不幸を自己責任と切り捨てる人は、自分にも同様の悲劇がいつ起こるかわからない、ということが想像できていない。
お金を出す以外にも方法はあるだろう。「同情するなら金をくれ」とは言ったもんだが、せめてお金が出せないなら、もっと温かみのあるメッセージは出せないものか?
高級料亭の個室でいつも会食し、送迎車で生活している政治家には、ソーシャルディスタンスのイメージも湧かないのだろう。
満室になりつつある病床の状況もわからないのだろう。
政治家からワクチンを打とうとしているあたり、この国の衰退ぶりを感じてしまう今日この頃である。